人生観

過去と現代の幸せの基準は土台が違う

幸福の追求が人生と言っても過言ではありません。それなのに不幸になっていく人やありのままの自分を表現できずに押し殺してしまっている人は少なくありません。

昔はよかったが急速に発展する現代において何が幸せなのかという違いがはっきりありますので今回はそこに注目して考えてみました。

目次

昔は危険がいっぱい

国家が形成される前は常に強者である動物の危険にさらされていました。国家が形成されても領土や既得権益のために同じ人間から攻撃されることもありました。現在でもアフリカや中東では同じことで戦争や紛争が絶えません。

こういった環境下では個人の幸せよりもまず、社会全体の幸福度を向上させるためにみんなが頑張る傾向にあります(一部富裕層や権力者は除く)。社会全体の幸せを底上げすれば自分も自ずと幸せになるからです。または、宗教によって心の拠り所を預けて盲信する、という2点でしょうか。

何れにせよ、個人の幸せは二の次で社会のために働くことを是としている感じがします。これは第二次大戦以降の復興中の日本でも同様かと考えます。

今はほとんど危険がない

現代の日本においては潜在的な国家危機や災害の危険はおいておくとほとんどといっていいほど危険がありません。社会のために働かなくても十分社会的には幸福度は上位にくるはずです。個人の幸福度が上がらない理由としては慣習や世間体を親世代が現代に追いつけていないことです。ただ、子どもも親を盲信せずに自分の力で幸福度を向上させる努力をしており、十分幸福な人がいるのも事実です。

ちなみに日本の幸福度は世界から見ると2021年で62位みたいです。もっとも、このランキングはGDPやら社会支援、寿命、人生選択の自由度、寛容さ、腐敗認識度などを総合して計算しているため、個人的な幸福度とはあまり関係ありません。

話が逸れましたが、現代において外的要因による危険がほとんどないため、事実として個人の幸せを底上げすることが社会全体の幸せにつながる可能性があります。幸せのボトムアップはどうしても社会、国家の援助が必要ですが、一定の幸福度を超えると個人的な幸福度を自身で追求するしかないのです。

幸せを感じ方は人それぞれ

個人的な幸せはもちろんのこと、社会全体を幸せにしたり社会的に権力を持つことが個人の幸せにつながる人もいるのも事実です。人の数だけ違った幸福があると私は考えます。私自身は武士の時代や戦争時代、国家復興時代は終わったため、これからは自身の幸せを追求するのが一番だと考えています。

これは企業戦士(いわゆるサラリーマン)であくせく働くことによって見出すことができたものであり、サラリーマンを経験していなかったら考えてもいなかったことになります。

周りはこうだから、みんなこうしてるから、というのに疑問を持ち続けた結果、自身のアイデンティティを再形成でき、世間体を気にせずに自分のやりたいことをやるために現在努力しているという状況にできたと考えています。

まとめ

まとめると現代は昔と違って危険が小さいものになっています。少ないお金でも頭を使えば生きることができますし、社会的なコミュニティは分断されつつあって仮想空間上が主となってきています。これによって世間体はほとんど気にせずとも良くなっており、個人の幸福を追求できる環境が整っています。

個人の幸せは人それぞれなので自分に合った幸せを見つけることが重要です。色々とやってみて違和感を感じるようであればそれは自分が全く望んでいないこと、幸福にならないことですので綺麗サッパリやめた方が有意義な人生を送れると思います。

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