2019年3月からこのブログを続けていますが、自己紹介にもあるように2017、2018年は抑うつからの脱却を図るためにいろいろな事に挑戦しました。
不要な支出を節約したり収入アップの為に本業を頑張ったり挑戦することはやめていませんが、どうも最近日々がルーチン化しているようにしか感じず、面白味に欠けることがあります。
そんな事がなぜ起こっているのかを考えてみました。
目次
生き生きしていた頃は何があったか
自分を変えるために日々知識の吸収や運動に励み、延々とサラリーマンを続ける必要が無い事もわかったことで大きな目標が生まれました。2019年からの2年は本当にこの目標に邁進しており、収支や投資計画などもしっかり行ってきました。
日々自分が成長出来ているという実感、本業にもそれが現れてきて人事評価も非常に良くなりました。障壁をクリアしていくにつれてそれはそれでツマラナイという心もあります(ドMか!)。
生き生きし始めなくなってきたのは何故か?
最近は計画通りに進み、2025年末にはセミリタイアできる事がわかった為、目標が非常に近くに感じられます。ただ、私の悪いところでもありますが、目標に近づくにつれて逆に達成したくないという心も芽生えています。
完成させると全てが終わってしまうような気がして嫌になったり、ゲームを最後までクリア出来なかったりとそういうのを経験した人は共感できるかもしれません。
セミリタイアで完成というわけでは無いのは頭ではわかっていますが、一旦の区切りがあり、その先はまだ考えていないのが影響している可能性が非常に高いです。
あくまでセミリタイアは手段であって目的ではない、そのためにはセミリタイア後に何をするか明確な目標が必要となってきました。今まではぽわーっと頭の中でセミリタイア後に何をしたいかなどを思い描き、それをブログに発信していました。
理想のライフスタイルはあるもののそれをして何を成すのかという明確な目標はなかった(漠然としたものはある)。私に必要なのは生活の内容ではなく、セミリタイア中に何をするか、何を成すのかというのが最も重要な課題になります。
終わりよければ全て良しの人生に具体化する
お金や地位に縛られても結局は孤独に死んでいくのが生き物の生涯です。セミリタイア後はほぼ無職のひとりの人間になるわけですから、人間性以外の強みはありません。
その人間性をいかに高めるかが次なる目標となりそうです。
ブログにはそれらしいことを書いていますが、全ては『終わりよければ全て良し』なのです。
パズルのピースをひとつひとつはめていくように行動の結果として1つのピースを人生という枠にはめていく。最後の最後で自分がどうであったかがようやく分かるという壮大な1つのパズルを完成させるに過ぎないのです。
まとめ
傍から見て幸せに見えようが不幸に見えようが自分の理念や倫理観に忠実に生きていくことがまずは大事です。漠然とした目標は決まっていますが、具体的な目標はセミリタイアまでに考えておく必要がありそうです。
目標探しはそれはそれで楽しい作業ですのでいろいろな知識を吸収しつつ見つけていこうと思います。
☆日々の継続こそが心身向上の糧☆