写真はイメージです。
バイトやパート、フルタイムで誰かに雇用されて働いて対価として賃金をもらう。今となっては普通のことですが、歴史を見ると逆行していると言わざるを得ません。
今回は少しだけ労働の意味を考えていきたいと思います。
目次
中世までは食べ物を得る為に働いていた
古代から中世までは食べ物を得る為には文字通り必死に生きる必要がありました。農耕が盛んだった頃でも今のように品種改良してたくさん可食部位があるものや肥料やビニールハウスなどなく、全て天候に身を任せて人が一生懸命に世話をしてやっと少しだけ得られることができました。
今の日本は食が豊富すぎる過食とも言える状態です。数百円(バイトでも1時間程度働けば得られる)でお腹いっぱい食べられるし、栄養もしっかり摂取出来て健康に生きることが出来ます。
昔の人たちはそれこそその程度の働きだと食べ物を得られない人もいたかと思います。確実に現代は豊かになっていると言えますね。
自分の時間を他人に取られるのは奴隷と同じ?
対価をもらっているとはいえ、他人に時間を与え続けることはローマ時代などの奴隷制度と同じ考えになります。当時の奴隷制度は自由人に仕えて労働を対価に自由人から賃金をもらっていました。もちろん、自由人は奴隷が働けなくなっては自分の生活も危うくなるので二束三文の賃金というわけにはいかず、正当な金額を用意する必要がありました。
誰かの為に奉仕して対価を得るのは中世日本でも同じです。
現代も誰かのために働くことでお金を得るわけですから同じですね。
結局の所昔から制度の名前が変わっただけで制度自体は全く同じということですね。
自分で働いたお金、時間をどう使うか
さて、ここからが本題です。
ここまでざっくり説明しても自分の時間を切り売りして得たお金を別の人の為に使いたいか?という考えに至りますよね。
生きるためにはまずは衣食住を確保すれば良く、娯楽やサービス、美食や旅行などは全て暇を埋めるためのツールと考えれば本当に必要なものか取捨選択することができると思います。
衣食住が枯渇しないお金さえ確保出来れば後は何をやっても良いんです。ですから支出を減らす考え方としてできるだけ合理的に考えると他人の為に自分の時間を使わないようにすればいいだけです。
支出を削減してお金に働いてもらうことが出来ればローマ時代の自由人として残りの人生を自由に歩めるというものです。
まとめ
人は知らず識らずのうちに他人の為に時間を使っています。人間としての本能の中に社会性というものが必要であるからということもありますが、現代社会ではお金に動いて貰えれば好きで時間を切り売りしない限りは他人に時間を使う必要はないでしょう。
家族の為、自分の為、友人の為、色々と時間の使い方は人それぞれですが、労働だけが全てでは無いことを知っておくのも良いのではないでしょうか。
☆日々の継続こそが心身向上の糧☆