人生のゴールと聞いて皆さんはどう考えますか?お金持ちになりたい、美味しいものをたくさん食べたい、世界をめぐりたい、愛する人と一緒にいたい、などなど願望、夢はたくさんありますよね。
人生のゴール、最期は生き物である限り最終的に行き着くところは『死』です。人生のゴールは『死』と考えるとその時にどうあるべきか、ありたいかを考えて目標を立てるとゴールまでの過程も更により良い人生になると思います。
『死』に対しては恐怖を感じる人もいるでしょう、私もその一人です。ただ、『死』=往生することは逃れられないことなので最期は必ずきます。
年齢関係なしにゴール(死)に対して考えることで自分が今後どういう人生を歩んでいくかをじっくり考える機会になるかと思います。
結論
人生の最終目標は『死』=往生です。往生の状態によって自分の生きてきた全てが詰まっているといえます。よって、以下のような目標を持つことが大事です。
その目標を達成したら次の日に死んでも良い
往生する時の目標なので当たり前といえば当たり前ですが、達成してすぐに死んでも構わないというような目標じゃないとダメです。なんだか壮大に見えますが、意識の問題であり、都度都度目標はアップデートすればいいので最初は軽く考えておけば良いと思います。
一生かかって考えるべき目標かと思いますが、人は目標に向かって走る生き物です。例えば『周りから感謝される人間になっている』という漠然とした最終目標を掲げていてもその過程である今日明日以降の自分はその最終目標に向かって行動します。そうすると少なくと人を虐げたり怒りに任せて暴力を振るうといったことは起きません。
たかだか20~30年生きた若造が何を言ってるんだと思われるでしょうが、これが真理です。
どんな事を目標にすれば良いのか
誰でもお金をたくさん稼ぎたい、地位が高くなりたいと思うものです。しかし、それを目標にしてしまうと〇万円稼いだ後は?社長になった後は?とそこで目標が無くなってしまいます。
2000万円の目標を達成したら4000万円、社長になったら次は会社規模を大きく、など次の目標を生み出すことは可能です。
しかし、考えてみるとそれはラットレースの拡張版ともいえる事ではないでしょうか。小さい車輪を達成できた後は大きな車輪に挑戦。どんどんどんどん大きくしていくだけで本質は変わらないのでは?と私は思うわけです。
となるとあまりに具体的過ぎる目標は最終目標にはならないはずです。そうなると定性的な、感性を刺激するような目標になってくるわけです。
私の目標は何歳になっても好奇心と興味を持って学ぶ姿勢を持つことと、どんなことでも少しでも人の為になる事です。人の為になるということは少なくとも威張り散らしたり、癇癪を起こしたりせずに冷静に物事を判断する能力を付けていくのが過程となっています。おそらく今の私自身の人生がこれによって形成されつつあるのは自明の理です。
最終目標は達成したら次の日に死んでも良いくらいの目標にする
フィクションですが北斗の拳のラオウも「我が生涯に一片の悔い無し」という名言とともに大往生しました。
そこまでする必要はありませんが、これくらいの気概を持った最終目標を持つ事で大往生が可能なんでしょう。歴史を見るにあの時ああしていれば、もっとこうすればよかったと悔いを残している状態、後悔先に立たずとも言いますが、これに陥らない為にも最終目標を掲げるのは最重要課題です。
私の最終目標は前項で記載したように『何歳になっても好奇心と興味を持って学ぶ姿勢を持つことと、どんなことでも少しでも人の為になる』ことです。
色んな自己啓発本には子供の頃に一番楽しかった事、うれしかった事から最終目標に結び付けるのが良いとあります。子供の時感じた事は純粋そのもので嘘偽りのない本物の喜びだからでしょう。
私がセミリタイアを目指すのもその先にある最終目標の過程にすぎません。だからこそ、そのゴールに向かって継続していく事が可能であると言えます。
まとめ
最終目標は資産額や地位などではなく、次の日に往生しても良いと思える事にすべきです。
些細な事を最終目標にしても良いです。人それぞれですから。私も今のところ些細な事を最終目標にしています。
定期的に見直してアップデートを心がけており、軸がぶれないように意識しています。
最終目標が無いと思う人は少し時間を取ってみて小さい頃の思い出で心の底から楽しかったこと、うれしかったことを思い出し、目標にすると良いのではないでしょうか。
☆日々の継続こそが心身向上の糧☆