人生観

生きていくだけになんでお金がいるのだろう

最近事あるごとに思います。なんで生活するだけなのにお金が掛かるんだろうと。理由は生活品や食べ物、住居(コレは土地を国が管理してるのもある)など他者が生産したり管理しているものを使うからという当然な理由があるからだと考えています。

ふとお金の価値を考えてみるとこの飽食、モノに溢れた現代で果たしてどれだけのお金が実際に必要なのか考えたくなります。そんなことを考えてたので記事にしました。

人は生まれた瞬間債務者になる

横暴な表現ですが私達は生まれた瞬間から債務者、またはお金が必要になっています。何をするにもお金が必要、まぁ赤ん坊は何も出来ないのでミルクやおむつを交換するにもお金が必要なわけです。必要なものを与えてもらって生きています。それが当たり前だと信じて疑わないのも事実です。

赤ん坊は仕方ないにしても小学生や中学生くらいだとどうでしょうか。同じく与えられるのが当たり前に思っていた節は無いでしょうか。世界全体でみると、ストリートチルドレンなる子たちは与えてもらえないためにその日暮らしに無い知恵を出してなんとかお金を稼ごうと生きている世界もあります。

少し話は逸れましたが、生まれたときから管理された生活ですのでそれが当たり前になってしまっています。税金は掛かるもの、生活にはお金が掛かるもの、と知らず識らずにそれが当たり前になってしまっていて非常に危ないです。

狩猟生活を忘れた生き方を選択している

自分で食べ物を見つけたり捕まえたりするのは大昔では当たり前でした。農耕が始まり国家が形成されて国家が力をつけ始めると狩猟生活はどんどん場所がなくなり追いやられていった歴史があります。

農耕や国家は制度として完成度が上がってきていますが、管理されることを考慮するとディストピア感がネックになってきます。お金を稼がないと何も出来ない何も買えない、そう思わせるような世論にもなっています。

物々交換だと価値がわからない、かさばることを払拭するための貨幣ですが全くの独り歩きをしてしまい物価上昇、別の価値観形成につながっています。ただ単に生活するという目的だけならここまでねじ曲がった世界にはならないはずですが、人間の欲望というものは非常に際限がなく、私もその欲望に抗えないのは事実です。

少しずつ自分でできることを培う

便利なサービスや美味しい食べ物、便利な製品などにあふれていますが、それをお金で買うだけが生活ではないと思います。田舎ではなかなかそういう物が溢れかえっている感じはしませんが、都市部ではお金が無くても生活できる環境が整ってしまっています。

現にホームレスが多くいるのは都市部です。炊き出しやら生活のゴミが盛んに出るのは都市部ならではです。自然の恵みは無いですが、都市の恵みには溢れています。そりゃあ家が無くても暮らしていけますね。見方によってはホームレスではなくて都市部の狩猟民族とも言えるかもしれません。

どちらかと言うと私は都市部の狩猟民族という言葉のほうが好きです。なりたくなくてホームレスになった人もいると思いますが、好んでホームレスになった人もいると思います。世の中の不条理、わけのわからない付加価値によって大枚をはたくのがわからない私のような人が最も効率的に、俗世を離れて生活する上でホームレス、路上生活は非常に魅力的な生活に思えます。

やってもらうのが当たり前の生活に慣れ親しんでしまった現代人は一度モノ、コトの価値を改めてみると違った世界が切り開けるかと思います。

まとめ

途中から言いたい放題になってしまいましたが、世の中が便利になるのは悪いことでは無いと考えています。ただ、便利な世の中になるに従い、どうしてそういう価値になったのか、主原料から加工品まで考えたときの価値の妥当性など全く無視して受け入れることを危惧しています。

敷かれたレールを走るだけだと他の道は全く見えません。少し自分でレールを敷いてみると違った景色や場所にたどり着けるため、多視点で物事を捉えるように心がけることが賢く堅実に生きることができると言えるでしょう。

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