最近哲学にハマっています。万物全てを論理的に考える学問であり、細分化していくと新たな学問に変わっていくというのも非常に面白い分野です。
以下の記事で悟りを開くのは簡単と書きました。わかってしまえば実際簡単ですし何だこんものかと思えてしまいます。

ただ、自己というのはどこから来るのかなんでそんなものがあるのかなど疑問は尽きないのが実情です。自分で考えるには壮大なテーマですが、このテーマはすでに先人たちが切り開きつつありますので一部紹介していこうと思います。
心と脳は切り離されたものか
私達は脳で考えたり感じたり身体を動かしたりします。感情や自分が今~したいだとかこれは嫌だとか認識しているものは何かと考えたのがルネ・デカルト(1596~1650年)です。
当時脳についてほとんどわかっていなかったこともあり、魂や心という脳と異なる別の何かに代替させて考えを構築していきました。
今の倫理観がしっくり来るのはおそらくこの『心』というものがあると信じているからでしょう。
脳を分析していくと心や魂はなかった
デイヴィッド・ヒューム(1711~1776年)は自己とは経験による連合体で知覚の束でしかないと説きました。自己形成は周りの環境や経験、時間によってもたらされるものであり何も無しに自己は生まれないということです。
自己形成については周りの環境、時間、経験によって作られる為、自分という存在は結局の所、脳が情動を受けた結果の感情が少しずつ蓄積されていった結果と考えられます。
つまり赤ん坊の頃は遺伝子的な本能はあるが自己はない、自己形成するのは周りの環境や時間によって経験が少しずつ積まれていった結果起こるものと結論付けられます。
性善説や性悪説がありますが、それは周りの環境次第で変わってしまうものです。確かに遺伝子レベルに紐付けられた性格や性質は存在しますが、それを引き起こすのも周りの環境や時間によって左右されてしまうということですね。
このような考え方を出来るのは以下の本から順建てて書いてあり非常にわかりやすく、面白かったので良かったら一度読んでみてはいかがでしょうか。
まとめ
心や自己というのはまだまだ未知数ですので実証実験が進むと更にわかってくるものが多いかと思います。哲学でしか捉えることが出来なかった精神疾患も今や心理学や神経医学など多岐にわたる分野、細分化されています。
哲学から枝分かれした分野や学問はシステム思考的に考えたり学んだりすると世界全体を理解出来るようになったり様々な分野とのひも付きに驚いたりと非常に面白いです。
自分自身を知るというのは究極的な学問とも言えるかも知れませんね。まだまだ知りたいという欲求が強まる一方なのでより詳細に勉強したり研究していきたいです。
☆日々の継続こそが心身向上の糧☆